親は保護者になっている?
人間には「自己保存欲動」というものが備わって生まれてきます。
簡単に言えば自分の身の危険を感じたら外敵を排除するという「攻撃性」が
本能として備わっています。
子供時代は、他者に守ってもらう、つまり手厚く保護してくれる親が
いなければ生きてはいけません、だから親を保護者といったんですね。
いわゆる、この被膜の厚さがどれほどであったか? ここが問題です。
保護者に守られて育てば、自己保存欲動の攻撃性を使う必要性は
ほとんどありません。
しかし、親がいなかったり、守ってくれなかったらば自分で自分の身を
守らなければいけません。
親の禁止や否定ばかりでは子供は攻撃性や罪意識が発生します。
自分が母に否定されないこと、受け入れられた、私はokだということで
母に守られていると子供は思うのですから。
それが無いとつまり直接危険にさらされることになります。
そうするとこの子にとっては外側にあるものは全て外敵となります。
とすれば、常にファイティング態勢で世界に臨むということになります。
こういう人は「人は自分を責めてくるもの、悪口を言う攻撃的な存在だ!」といつも
思っています。
だから、「人を見たら泥棒と思え!! 」 こういう構造になってしまいます。
逆にお母さんからの手厚い被膜で覆われて育ったならば、
攻撃性は使う必要ないですから、「渡る世間に鬼はなし♪」となります。
どうでしょう? 天と地ほどの違いがありますね^^;
お母さんの役割はかなり重大ですね。
簡単に言えば自分の身の危険を感じたら外敵を排除するという「攻撃性」が
本能として備わっています。
子供時代は、他者に守ってもらう、つまり手厚く保護してくれる親が
いなければ生きてはいけません、だから親を保護者といったんですね。
いわゆる、この被膜の厚さがどれほどであったか? ここが問題です。
保護者に守られて育てば、自己保存欲動の攻撃性を使う必要性は
ほとんどありません。
しかし、親がいなかったり、守ってくれなかったらば自分で自分の身を
守らなければいけません。
親の禁止や否定ばかりでは子供は攻撃性や罪意識が発生します。
自分が母に否定されないこと、受け入れられた、私はokだということで
母に守られていると子供は思うのですから。
それが無いとつまり直接危険にさらされることになります。
そうするとこの子にとっては外側にあるものは全て外敵となります。
とすれば、常にファイティング態勢で世界に臨むということになります。
こういう人は「人は自分を責めてくるもの、悪口を言う攻撃的な存在だ!」といつも
思っています。
だから、「人を見たら泥棒と思え!! 」 こういう構造になってしまいます。
逆にお母さんからの手厚い被膜で覆われて育ったならば、
攻撃性は使う必要ないですから、「渡る世間に鬼はなし♪」となります。
どうでしょう? 天と地ほどの違いがありますね^^;
お母さんの役割はかなり重大ですね。
- 2012.04.01 Sunday
- 子育て
- 21:00
- comments(0)
- trackbacks(0)
- -
- by 豊城 聡子