世の中のことは思うようにならない 〜 私たちは人生で起こってくるさまざまな
出来事に対して、ついそんなふうに見限ってしまうことがあります。
けれどもそれは、「思うとおりにならないのが人生だ」と考えているから、
その通りの結果を呼び寄せているだけのことで、その限りでは、思うように
ならない人生も、実はその人が思ったとおりになっていると思います。
・・・略・・・その人の心の持ち方や求めるものが、そのままその人の人生を
現実に形づくっていくのであり、したがって事をなそうと思ったら、まずこうありた
い、こうあるべきだと思うこと。それもだれよりも強く、身が焦げるほどの熱意を
もって、そうありたいと願望することが何より大切です。
ただし願望を成就につなげるためには、並みに思ったのではダメです。
「すさまじく思う」ことが大切。漠然と「そうできればいいな」と思う生半可な
レベルではなく、強烈な願望として、寝ても覚めても四六時中そのことを思い
つづけ、考え抜く。頭のてっぺんからつま先まで全身をその思いでいっぱいにして、
切れば血の代わりに「思い」が流れる。それほどまでにひたむきに、強く一筋に
思うこと。そのことが、物事を成就させる原動力となるのです。成功するか
しないかは、願望の大きさ、高さ、深さ、熱さの差からきているのです。
・・・略・・・しかし寝食も忘れて、思って、思って、思い抜くということは、
そう簡単にできる行為ではありません。強い思いとすさまじい願望を持続させ、
ついには潜在意識にまでしみ込ませるほどではなくてはいけないのです。
ちょっと長くなりましたが、これは、稲盛和夫さんの「生き方」
から抜粋させて頂きました。
今、たくさんの、願望を引き寄せる本がでていて、私もいろいろ読みましたが
何か、ストーンと腑に落ちてこなかったんです。この本は3年前に買って
何度か読んでましたが、今日また読んでみたら、私の心にストーンと納得
しちゃいました。う〜ん、誰かを好きになった時のような・・・気持ちに
なるってことでしょうか??(ちょっと最近忘れかけていますが…)
稲盛さんの言葉にはやはり重みを感じますね!!
壮大な夢を叶えるためには、今、覚悟と情熱が必要だよ!とメッセージを
頂いたと思っています。 感謝
前回の続きです。
前回は授乳時期、0歳〜1.5歳までのお話でした。
今日は離乳が終わった、約1.5歳〜4歳までのお話です。
離乳がすむと入園までの間に、トイレの始末が自分で出来るようにしつけ
なければなりません。
これは欲求の充足を延期する訓練です。トイレまで行って用をたすということは
トイレに行くまでの間は我慢させるわけです。
トイレのしつけを通してセルフコントロールの訓練をする時期を肛門期といって
います。今まで乳児は好きな時に、好きなところでオムツの中に大・小便をしていられ
た。ところがトイレット・トレーニングにより、母との権力闘争が始まります。
母の言うことを聞けば誉められますが、逆らえば叱責される。
どちらを選ぶかを決めなければなりません。
この時期に「自律性」を学びます。
又、18ヶ月〜24ヶ月ごろの特徴的行動は、母を押しのけたい欲求と、母にまつわり
つきたい欲求の急速な交代をみせます。又、母が視界から見えなくなったり、
離れて行こうとした時に、すぐにあとを追いかけたり、「お母さん、お母さん」と
叫びながら探します。逆に逃げたりする相矛盾した行動をとります。
これは、愛情対象との再統合の願望と、呑み込まれて自分を喪失する不安の葛藤
によるものです。この葛藤の中で子供は自らの自律性を言葉と行動によって試行錯誤
しながら身に付けていきます。
トイレットトレーニングに戻りますが、トイレのしつけが厳しすぎるのも
問題です。トイレのしつけが厳しいということは、一方、他の面でもしつけが
厳しいと推測されます。子どもはそれをとりいれて「きちんとせずには気のすまない
人間」になります。四角四面、融通が利かない人間。もし、きびしいしつけに
子どもが反抗した場合はケチな人間になります。ケチとは出したくない心理です。
排泄を拒否するだけでなく、時間や金銭や愛情をも出すのをいやがる人間になります。
簡単に言うと、肛門期性格の特徴は、オールオアナッシングです。
たとえば、白か黒、不潔と清潔、勝ちと負け、好きか嫌いかなどです。
中庸は無いのです。
これで、昔私は人間関係に苦しみました。0か100かしかない…ということは
好きか嫌いでしか人をみれない!
私の着る服も、白か黒でした。グレーとかベージュとかはありえなかった。
今は、グレーもありだなぁ〜と思って着れています
性格とは、後天的に環境(家庭・学校・社会等)や文化によって形成された行動様式
をいいます。
では、性格はどう作られるか。
幼少期の体験が性格を形成していきます。
性格は生のエネルギーが、人生の節目節目でどう満たされてきたかによって
決まっていきます。
まずは、授乳体験。
授乳は単に食欲を満たすだけのものではありません。
授乳は人生最初の外界からの贈り物なので、乳を拒否されるということは
愛情を拒否されたことになります。
いくら泣いても授乳されないと、人生はこれだけ私が求めても応えてくれない、
無情なものである、と人生へのネガティブな態度を育成することになります。
あるいは、慢性の愛情飢餓に陥ることになります。
しかし、何歳になっても泣きさえすれば授乳してもられるという体験を
重ねると、わがままな人間になる。他人がよくしてくれるのは当たり前だと
思うようになる。じゃあどうすればいいの?
乳は与えるべき時期には気前よく与える、そうすると、充分満足して
自然に離乳に至る。
昔から、食べ物の恨みは恐ろしいというけど、それは食欲を拒否されたからではなく
愛情を拒否されたからうらみが根深くなるということ。
食体験は愛情体験だからなのです。
精神分析療法は幼少期体験で無意識下に抑圧されているものを想起し、
遅まきながらその体験を克服するということ。
ひとことでいうと「無意識の意識化」です。
過食・拒食障害などもこの時期の問題にさかのぼります。
精神分析では誕生から離乳までの時期を口唇(こうしん)期といいます。
この時期に問題のある人?を口唇期性格といっています。
たいていは、あまえんぼう、酒飲み、甘いもの好き…。
う〜ん、私ですっ・・・。
また、この時期に、とても重要な「基本的信頼」が形成されます。
納得ですよね、求めればすぐ応えてくれる⇒信頼関係
今日はここまで。
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