勇気をもって「決める」
今日は、きのうの雨とは一変して大雪になっちゃいました。
玄関を出たら、真っ白…約束していたのですが・・・
急遽電話して「この雪では私には運転は無理かも」って言ったら
元警察官だった方「自分が無理って思ったところが自分の限界・・・
それを無理して運転すると事故に繋がる…」と。
う〜ん最もであり深いーのー言でした
今日も応援のクリックをお願いします。
ありがとうございます
秋保の慈眼寺に塩沼亮潤さんという方がいらっしゃいます。
吉野の山の大峯千日回峰行を達成した方です。
昨年講演会にも行ってきました。
千日回峰行とは・・・片道24キロ、高低差千三百メートル以上の山道を
16時間かけて1日で往復。それを1000日、合計で48000キロ
歩き続けるという修行です。
1300年の歴史の吉野山でたった2人した達成していないといいます。
掟があり、いったん行にはいったら、決して途中でやめることは
できないということです。
足の骨を折っても、不慮の事故に遭ってもです。
万が一、この行を途中でやめるときには「神様仏様申し訳ございません
でした。千日間歩き通しますと申しておりましたが、自分の不徳によって
途中でやめざるを得ません」と神仏にお詫びをして、左腰に携えている
短刀で自分の腹をかき切って自害するか、あるいは死出紐という紐を
木に結びつけて首をくくって命を絶たなくてはならない」という
厳しいものだそうです。
〜人生生涯小僧のこころ(塩沼亮潤)より〜
行に入ると、体の調子が良いか悪いかではなく「悪いか最悪か」の毎日
だったそうです。講演を聞いていて涙がでてしまいました
今の時代になぜそんな修行をするんだろうかと思いました。
小学生の時にテレビで千日回峰行を達成した人をみた時に
自分もやる!!って決めたそうです
ちなみに、この方は現在40歳ですよ
人間「覚悟」をしなければならない時がきます。
私もこの「覚悟」というもの、一度もしたことがなく・・・
「覚悟」とはどういうことだろう?と思っていた時にであったのが
塩沼亮潤さんだったのです。
私は最初この話を聞いた時に「死ぬ覚悟」があったからできたんだと
思っていました。その覚悟なくては行は出来ないと。
「覚悟する」とは死もいとはない、そんな決心が
必要だということだろうと
しかし、違っていました。
この行を満願するというただその決心だけでした
つまり「生きる覚悟」をしたということなんですね。
だから、最悪でも、明日への希望があったんですね。
何度も何度も死にそうな目にあったと言います・・・。
もしも死ぬ覚悟をしていたら、たぶんやはりその機会は
訪れたと思います。
「己とは一体何なのか、人とは一体何なのか、人生とは一体何なのか」
と自分に問われたといいます。
そして、「人は苦しむために生まれてきたのではない。
苦しみの中から喜びを得るために生まれてくるもの」であると。
私たちは毎日、どんな小さなことでも、自分で決めています。
「決めた結果」行動がありそれが現象となります。
大きなことでも小さなことでも全て決めなければ、動かないものです。
もし自分にポリシー(信念)がないという方は、たぶん物事を
決めていないのではないかと思います。
簡単にいうと「私は〇〇であると決める!!」とか
ということです。
決めたら、それは行動となり、現実化します。
『大きなことを成し遂げる』には、
やはり「大きな覚悟」が必要ではないかと思われます。
そして、「勇気をもって、自分を信じて、やると決める」
グリーンテラスのHP
玄関を出たら、真っ白…約束していたのですが・・・
急遽電話して「この雪では私には運転は無理かも」って言ったら
元警察官だった方「自分が無理って思ったところが自分の限界・・・
それを無理して運転すると事故に繋がる…」と。
う〜ん最もであり深いーのー言でした
今日も応援のクリックをお願いします。
ありがとうございます
秋保の慈眼寺に塩沼亮潤さんという方がいらっしゃいます。
吉野の山の大峯千日回峰行を達成した方です。
昨年講演会にも行ってきました。
千日回峰行とは・・・片道24キロ、高低差千三百メートル以上の山道を
16時間かけて1日で往復。それを1000日、合計で48000キロ
歩き続けるという修行です。
1300年の歴史の吉野山でたった2人した達成していないといいます。
掟があり、いったん行にはいったら、決して途中でやめることは
できないということです。
足の骨を折っても、不慮の事故に遭ってもです。
万が一、この行を途中でやめるときには「神様仏様申し訳ございません
でした。千日間歩き通しますと申しておりましたが、自分の不徳によって
途中でやめざるを得ません」と神仏にお詫びをして、左腰に携えている
短刀で自分の腹をかき切って自害するか、あるいは死出紐という紐を
木に結びつけて首をくくって命を絶たなくてはならない」という
厳しいものだそうです。
〜人生生涯小僧のこころ(塩沼亮潤)より〜
行に入ると、体の調子が良いか悪いかではなく「悪いか最悪か」の毎日
だったそうです。講演を聞いていて涙がでてしまいました
今の時代になぜそんな修行をするんだろうかと思いました。
小学生の時にテレビで千日回峰行を達成した人をみた時に
自分もやる!!って決めたそうです
ちなみに、この方は現在40歳ですよ
人間「覚悟」をしなければならない時がきます。
私もこの「覚悟」というもの、一度もしたことがなく・・・
「覚悟」とはどういうことだろう?と思っていた時にであったのが
塩沼亮潤さんだったのです。
私は最初この話を聞いた時に「死ぬ覚悟」があったからできたんだと
思っていました。その覚悟なくては行は出来ないと。
「覚悟する」とは死もいとはない、そんな決心が
必要だということだろうと
しかし、違っていました。
この行を満願するというただその決心だけでした
つまり「生きる覚悟」をしたということなんですね。
だから、最悪でも、明日への希望があったんですね。
何度も何度も死にそうな目にあったと言います・・・。
もしも死ぬ覚悟をしていたら、たぶんやはりその機会は
訪れたと思います。
「己とは一体何なのか、人とは一体何なのか、人生とは一体何なのか」
と自分に問われたといいます。
そして、「人は苦しむために生まれてきたのではない。
苦しみの中から喜びを得るために生まれてくるもの」であると。
私たちは毎日、どんな小さなことでも、自分で決めています。
「決めた結果」行動がありそれが現象となります。
大きなことでも小さなことでも全て決めなければ、動かないものです。
もし自分にポリシー(信念)がないという方は、たぶん物事を
決めていないのではないかと思います。
簡単にいうと「私は〇〇であると決める!!」とか
ということです。
決めたら、それは行動となり、現実化します。
『大きなことを成し遂げる』には、
やはり「大きな覚悟」が必要ではないかと思われます。
そして、「勇気をもって、自分を信じて、やると決める」
グリーンテラスのHP
- 2009.01.31 Saturday
- 人生
- 20:56
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- by 豊城 聡子