困っている人を助けたい〜

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    苦しんでいる人、困っている人を見るとほっとけない、

    だから私に出来ることをさせて頂きたいというのはもちろん素晴らしい。

    そこには投影という機能が使われている。

    自分の姿を相手に投影して助ける、それは自分を救っているのかもしれない。

    または、苦しんで辛い思いをしている人を見て思うことは「この人に比べたら

    私は充分幸せではないか」と確認している。

    実はほっとけないのは誰でもない自分である。

    その困っている人がもし自分以上に幸せになってもあーよかったと大手を振って

    喜べるだろうか? いいなー羨ましいなーと思わないだろうか?

    もしかして思うかもしれないという人は、私は幸せになる資格がないと無意識で

    思っている人です。私が持てないものを持っているとしたら羨望しねたんでしまう

    という、人間にはそういう心の構造があるから。


    そんな人に言う言葉は、「辛く苦しんでいる人と共に自分も幸せになろう!!」

    と思うことがもっとも大切だと私は思います。




     

    幸せになる為には〜

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      私の家は貧乏(お金がない)だから不幸だ、

      自分は学歴がないから不幸だ、私はきれいな顔立ちじゃないから不幸だ、

      と自己規定してしまったら、一生その言葉に支配されて生きることになる。

      言葉とはそれほどまでの力を持っているのです。

      「私は不幸だ」という言語に牽引されながら、「不幸でなければならない」と

      なってしまう。しかし昔のことですから今は憶えていないかもしれない。

      しかししっかり刻印した言葉は無意識にあるのです。

      意識で、今は幸せになりたいと思っているのにも関わらず幸せになれない!!

      と思う人はどこかで自分を規定したことを思いだし、

      それを書き換える必要があります。

      でなければどんなに幸せになりたいのと思っても一生幸せにはなれない。


       

      私たちは言葉に従って生きていく存在

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        夢は叶うもの、そう思っている人は叶う。

        夢は叶わないもの、そう思ってしまった人は叶わない。

        私たちはいつの間にか言葉に従って生きていくから。

        自己規定した通りになっていくのです。

        叶えたい〜という言葉は同じように使う、でも心の奥(無意識)に私が規定した言葉

        に牽引されながらそれを目指していくのです。

        無意識のことはわからない、でも一つだけ分かるサインがある、それは、

        もし自分の思いどおりにならなかった時、「やっぱり・・・」という言葉が

        でてきた時、自分が叶うはずがないと規定したということなのです。

        何故そう思ってしまったんだろうか? いつそう規定してしまったんだろうか?

        必ずそう思ってしまった源があるのです、それを突き止めて

        書き換える必要があります。 それをしなければ一生その言葉に従って

        生きていくのです、それほどまでに言葉の威力は大きいのです。

        そんなことが分析作業です。


         

        彼の向こうに母がいる・・・

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          好きになると相手に尽くしてしまう、自分を犠牲にしてまで・・・

          それが段々疲れてくる、でも嫌われたくないからやめられない。

          しかしどんなに尽くしても相手は当然のようになり、ましてやありがとうの一言

          もない、私はなんなのか?と思う。


          それはかつての親子の再現である。

          いい子でいさえすれば嫌われない、もしかして誉めてくれるかもしれない、

          相手の向こうに母の姿がある。

          実はその母に向かって一生懸命尽くしているだけ、、、

          君のお陰で助かった、お前しかいない、そんな私の存在を

          認めてくれて誉めてほしい、たったその一言がほしいだけなのです。


          それはやはり元々は母から「私の子供として産まれてきてくれてありがとう」

          「あなたに会えて私は何よりも幸せ」と母に言ってほしい。

          それが全てだと思います。






           

          怒りはどこから・・・?

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            辛い、悲しい、淋しいという感情は自分で感じ、時に人前で言えたり、

            泣いたりすることが出来る。

            しかし人は怒りという攻撃性という感情が実は最も強く持っているのだけれど

            それが中々自分でも自覚したくないから言葉にも出来ないし表現できない。

            だから、誰かの行為をみて、許せない!!とか腹立つ!!という形で表現する。

            それは他者の姿を借りて自分の怒りを表現しているだけなのです。

            私自身の怒りだと言えればいいんですが・・・

            それが言えないから私の怒りはおさまりようがありません。

            怒りを発散できる場、置き換えられる物が必要です。

            それが家庭では子供が言うことを聞かないから叱るという形で

            正当化して八つ当たりという形、会社で部下を叱るという形で表す。

            しかしこれではおさまらないのです。

            自分の怒りがどこから起きえてきているのか? 何に対して腹がたっているのか?

            それが分からない限りはいくら八つ当たりしてもどうしようもありません。

            ただただ人は反復するだけだから、そんな心の構造があるのです。

            精神のしくみを知る必要があります。






             

            どんなことがあっても決して諦めない!

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              あまりに不遇というような家庭環境にあった。

              周りの人間は全て信じられない、だからみんな宇宙人だと思ってきた。

              私だけが人間だと・・・。すがるのは神様しかいないと思って、

              自分の願いを紙に書いた、神様は天にいるからと思い、外に出てそのお願い

              を書いた紙を空に向かって広げた。

              公園にいって砂場でも自分の願いことを大きく書いた、神様に見てもらえるように。

              これを3歳ぐらいからやっていたという。

              さすがに大きくなってからは砂場にはいけないが、いつもいつも紙に書いて

              神様にお願いしていたという。

              その人は20年たってやっと自分の願いが叶った。

              やはり自分の思いを通す、諦めない限りは必ずいつか叶う時が訪れる。

              その人は今やっと幸せを手にしました^^


              最近私にもそんな機会が訪れた。

              ずうーっと謎だったこと、どうしてもわからない・・・

              でもきっと必ず分かる日が来るだろうと思い続けてきたことが、ある瞬間に解けた。

              そういうことだったのかーと全ての謎が繋がった瞬間が訪れた、

              やっぱり生きてるって素晴らしい^^ と思わず言ってしまいました。

              それほどに感動しました!!







              想像が現実を脅かす!

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                現実のことで悩んでいるのにそこに想像の世界が入りこんで、

                いつのまにか想像が妄想にまで広がり気付いたらもう現実は

                怖くて一歩も前に進めないということが多い。

                簡単にいうと、色々考えてしまってどうしたらいいのかわからない・・・と

                いう言葉になる。


                私たちは現実と想像の2つの世界を同時に生きている。

                (正しく言えばもう一つの世界があるのだが・・・。)

                想像の世界をしめている人が多いだろうと思う。

                頭の中であーでもない、こーでもない、こうなったらどうしよう、と。

                そんな人は最悪のことまで想定してしまう。


                どんなに考えて自想しても、悟りを開くほどの人間でない限り

                答えは湧いてこない、結局は想像の世界に浸りやっぱりダメだとか、

                無理だとかの積極的な解決方法に至らずの完結で終わってしまう。

                現実を見ているようで実は見てはいないのが想像の世界、

                そして想像の世界は現実を支配してしまうほどに影響を及ぼす。

                マイナス思考の人ほど想像力が豊かだ、

                例えば、アパートで隣りで壁を叩いた物音にも、自分のテレビの音がうるさいって

                抗議しているんではないか?とか、

                会社で、何人かが集まって話しをしていた所に私が通ったところ、

                笑っていたのを見て、きっと私のことで何か言っていただろうと思う・・・など

                そんな想像をしてしまう、現実は全く違うかもしれないのに。

                しかしそれがその人にとっての現実に取って代わる。

                想像の世界に脅かされて動けなくなるのである。



                幼い頃、現実があまりに辛くて想像・空想を創って生きてきたという人は多い、

                だからこそなんとかやってこられたのかもしれない。

                しかしその世界で一生いきることは現実を逃避したことになる。

                何も叶わない、幸せにもなれない、悲劇のヒロインで終わってしまう。

                想像界で生きることをやめることから始まる!!






                 

                睨む目〜対人恐怖

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                  母のまなざしは大よそ3つにわかれる。

                  見守る目、監視の目、睨む目。

                  睨まれた人、睨みつけられていた人というのは、後に視線恐怖になったりします。

                  睨みつけられていたのですから敵意を感じますね。

                  自分を嫌っている、自分に攻撃してくる人として他者を見てしまうのです。

                  目は伏し目がちになります、睨むという母の目にはおまけがついていて

                  声は怒鳴るのです、こらーーー何やってんのあんたは!!って睨みつけて

                  怒鳴るのです。そんな声をいつも聞いているのはつらいので

                  難聴になることもあります。

                  怒鳴られ睨まれ敵視されたなら、大人になってどんな人間関係を結べる

                  でしょうか?  結べません、もっともオーソドックスな病理としては

                  やはり対人恐怖になります。





                  子は鏡

                  0
                    誰かにされたことが許せないという怨みつらみ、

                    そしてその憤りを延々と語り続けていくと最後には、

                    私も同じかも・・・ということに気付きます。

                    結局は自分が許せないのです。

                    自分の苦しみは人から受けたように思うのですが、

                    自分の中から湧いてきているのです。

                    見せられたから辛いのです、だって見たくないから排除していたのに

                    見せられるのですから、そんな見せてくれる人は許し難い存在ですよね。

                    そんな人は死んでしまえ!!と言いたいのです。

                    それが我が子だったらどうでしょうか?

                    自分と似ているとは充分分かっています、分かっているからこその

                    葛藤です、逃げられません・・・排除もできません。

                    とすればどちらかが病むしかありません。

                    正常ではいられませんから。

                    この悪循環は延々続くのです、どちらかが外部に助けを求めなければ。



                    閉ざす

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                      心を閉ざす、口を閉ざす、目を閉ざす、耳を閉ざす、

                      心と身体は一体だからそうなってしまう。

                      果ては身体に感情はくっついているから、あらゆる感情も閉ざし

                      汗さえも出ない、涙もでない、便もでない・・・となる。

                      全ての開口部が閉ざされている。

                      開口部というからにはやはり開いていてしかるべき所。

                      これでは人生も開けない!! ということになる。

                      人生とは自分で切り開いていくもの。

                      閉ざすにはやはり閉ざしてしまった原因がある。

                      その原因は、ほとんどは幼少期の自分が『拒絶』されたこと。

                      拒絶されれば解放することは出来ないし発散もできず溜め込む

                      という悪循環ばかりである。

                      分析で、「閉ざす」→「開く」に書き換えていく。
                       


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