思うことと語ること
確固たる自分というものを持っていないから中々人前で言いたいことが言えない、
つまり私は主体性がないから語れないという。
実はそれは逆なのです。
語ることによって主体は表れる(語る主体)とラカンは言ったのです。
人は自分のことを語る機会がない(只のおしゃべりのことを言っているのでは
ありません)のです。
セラピーではクライアントは自分のことについてしか語らない。
私はこう思ってずっと生きてきましたとか、どうして私はここに生まれたのかとか、
私はこんな人間ですとか、いろんなことを語ります。
その語りによって毎回主体が生まれるのです。
私は主体性が奪われてしまって今まで死んでいたのです(精神は)。
だからこそ、語ることによって始めて自分は甦るわけですね。
セラピーでは毎回甦りの作業をしているわけです。
クライアントからの質問。
語るということにどんな意味があるんですか?
語らなくても私はいつも心の中でいろんなことを思っているし、そんな中で
気付きもしているんですが・・・と。
思うという世界(想像界)と言語の世界(象徴界)は、実は全く別な次元なのです。
つまり私は主体性がないから語れないという。
実はそれは逆なのです。
語ることによって主体は表れる(語る主体)とラカンは言ったのです。
人は自分のことを語る機会がない(只のおしゃべりのことを言っているのでは
ありません)のです。
セラピーではクライアントは自分のことについてしか語らない。
私はこう思ってずっと生きてきましたとか、どうして私はここに生まれたのかとか、
私はこんな人間ですとか、いろんなことを語ります。
その語りによって毎回主体が生まれるのです。
私は主体性が奪われてしまって今まで死んでいたのです(精神は)。
だからこそ、語ることによって始めて自分は甦るわけですね。
セラピーでは毎回甦りの作業をしているわけです。
クライアントからの質問。
語るということにどんな意味があるんですか?
語らなくても私はいつも心の中でいろんなことを思っているし、そんな中で
気付きもしているんですが・・・と。
思うという世界(想像界)と言語の世界(象徴界)は、実は全く別な次元なのです。
- 2012.03.27 Tuesday
- 心理
- 22:14
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- by 豊城 聡子