最悪の時は最良の時

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    毎日が平和で楽しい・うれしいことばかりあればなんと幸せでしょうが

    現実は中々そうはいきません。

    日々色んな事が起きます、おまけにそういう時は立て続けにやってきますから

    ますます大変になります。

    そんな時はどう考えるか?です。

    どうしてこんな事が起こったんだろう?

    どうしたらいいんだ?最悪だ・・・と思うような現象は実はチャンス到来

    ピンチはチャンス!なのです、そういう思考が必要です。

    大抵において、自分が大きく変わる時というのは現象が始めに変わります。

    最悪の時は成長の時と捉え、その事態を直視し現実から逃げないことが大事です。

    いい事ばかりでは中々成長しないのが人間です。

    ですから実は最悪の今この時こそ最良の時なんだ!!

    と切り替えれば本当に最良に持っていけます。

    最悪だーと思えばただ本当に辛く苦しいだけで最悪で終わります。

    現象は一つなんですけどね・・・。

    「最悪の時は最良の時」この言葉を持つことが必要です。







     

    鏡像関係(人は敵か味方か)

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      人からどう見られるかが気になる、

      人の目が恐くて・・・緊張して人とうまく付き合えない・・・。


      対人関係のそもそもの始めは母との関係であり

      母のまなざしに行き着きます。

      我が子に向ける母のまなざしがいつも微笑みであれば、

      鏡の関係ですから母の微笑を見て子供は、「あー自分は

      お母さんから愛されているんだ」と微笑み返します。

      とても安心して幸せで満ち足りた気持でいられます。

      しかし母のまなざしがいつもムスっとして不機嫌だったり

      怒った顔ばかりしていると、子供は「あー自分は嫌われているんだ」と

      思い子供もムスッと不機嫌な顔になります。

      自分は何か悪いことをしたのか?何故嫌われなくちゃいけないんだ?と

      怒りをためていきます。

      まなざしは愛される対象だったか否か?

      この母のまなざしが段々他者のまなざしに移行していきます。

      このようにまなざしには意味が張り付いているということになります。

      この鏡像関係には愛と攻撃のアンビバレンツがあります。

      そもそもの最初に不機嫌な怒りのまなざしで見られ続けた人は、

      母が他者にすり替わっただけですから、みんなが自分を攻撃してくるように

      思いますし、自分も人に対していつも攻撃的です。

      ですから対人との関係は「怒りの鏡像関係」しかない構造になります。

      意識では親和的関係を望むのですが無意識が優先してしまいます。

      母からのまなざしがどちらの量が多かったか?

      あなたのお母さんはいつもどんな顔をしてましたか?

      笑顔の母が浮かんでくるか、しかめっ面の恐い母が浮かんでくるかで

      自分対他者の関係が分かります。

      そして人は敵か味方か、という自己規定を持つことになるのです。



















       

      自我がない

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        自我が弱いとか脆(もろ)いという言葉はよく使われますが

        正確に言えば多くの人たちには自我はないと言えます。

        あるのは想像的自我といえるでしょう。

        親から言われた(要請)言葉を我が言葉として持ち、

        後には他者の言葉をパクり、物まねで生きていると言えます。

        これが主体性がないということです。


        フロイトは「エスあれしところに自我あらしめよ」と言います。

        エスというのはラカン流に言えば「欲望」であり

        簡単に言えば自分の本当にしたいことです。

        その欲望を持って自我理想を目指します。

        この欲望→自我理想を目指している時に始めて自我が発生します。

        赤ちゃんはエスだけを持って生まれてきますが、

        親からあれもダメこれもダメと規制され、

        躾という名のもとにあーしなさいこーしなさいと拘束され、

        人様から笑われないように生きなさいとか生き方まで強要されているうちに

        親の欲望を生きることになってしまいます。

        エスはいつしかすっかり萎(な)えてしまいます。

        これらの親の言葉は内在化され超自我(正しくは超自我もどきですか)として

        一生涯エスの見張り役として存在することになります。

        誰の人生でしょうか・・・?

        超自我もどきを捨てた時、エスは自由になります、そして活性化し自分の欲望を持つ

        ことができます、その時に始めて自我が表れます。








         

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