存在の価値(注意を引く行為)
私の存在が存在しうるにはどうしても他者のまなざしが必要です。
どうしてかというと、例えば私が友達3人と一緒にいる時に、
私の存在を無視して3人だけでお話しをしていたとしたら
私の存在はそこに無いということになります。
私の顔を見て微笑んだりうなづいたりしてくれれば
私がたとえ一言も発しなくても私の存在はあります。
このようにまなざしがあるかないかで私の存在は決定します。
そもそも子供はお母さんのまなざしだけを求めています。
ですがお母さんからのまなざしが足りなかったら、
どうしても誰かから見て欲しいとなります。
その行為は後になんでもいいから人の注意を引きたいということで
その仕方は様々です、病気ばかりしてお母さんの関心を引いたり、
悪いことをしたり、何かの芸でパフォーマンスをしたり
人目につくようなファッションをしたり、とにかく自分にみんなの視線・関心を
集めるためのアクションをするのです。
その行為で何が得られるのか?
それは自分がこの世に存在しているんだという証しを訴えているのです。
この存在こそが自分の価値になるのです、そのことに人は心を費やしているんですね。
どうしてかというと、例えば私が友達3人と一緒にいる時に、
私の存在を無視して3人だけでお話しをしていたとしたら
私の存在はそこに無いということになります。
私の顔を見て微笑んだりうなづいたりしてくれれば
私がたとえ一言も発しなくても私の存在はあります。
このようにまなざしがあるかないかで私の存在は決定します。
そもそも子供はお母さんのまなざしだけを求めています。
ですがお母さんからのまなざしが足りなかったら、
どうしても誰かから見て欲しいとなります。
その行為は後になんでもいいから人の注意を引きたいということで
その仕方は様々です、病気ばかりしてお母さんの関心を引いたり、
悪いことをしたり、何かの芸でパフォーマンスをしたり
人目につくようなファッションをしたり、とにかく自分にみんなの視線・関心を
集めるためのアクションをするのです。
その行為で何が得られるのか?
それは自分がこの世に存在しているんだという証しを訴えているのです。
この存在こそが自分の価値になるのです、そのことに人は心を費やしているんですね。
- 2014.08.30 Saturday
- 心理
- 20:37
- comments(0)
- trackbacks(0)
- -
- by 豊城 聡子