書き換え(打算→献身)

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    私は何者か?と自分自身に問いかけて答えを出し、なりたい自分に

    なっていくことは中々大変なことです。

    ですからあまり考えないか保留にして生きています。

    この問いかけに答えを出したいのがクライアントです。

    私は何者かを問いかけた時にまず自分の父は母は何者か?を

    規定しなければなりません。

    例えば父は、自由奔放・強情・自己中・優柔不断・

    感情的・一貫性がない・軽薄・打算的だetc…とあらゆることを

    いいますがいつまでたっても中々規定ができません、母にしても同じです。

    何故規定できないかというと、父という存在を認めて(是認)いないからです。

    是認できれば次は規定する段階になります。

    ここで問題なのが例えば「父は打算的だ」と規定しようとしたとします。

    何事も損得を考えて行動する父、そうするとそれはあまりよろしくないんじゃ

    ないの?といい悪いの感情が働いて規定できなくなったり、

    又その規定は父を非難することになるんじゃないかと思ったりして

    しまうのです。

    規定はあくまでも言語だけの世界(象徴界)ですので

    そこに価値観や感情・道徳は関係ありません。

    またその規定が真実かどうかも実は関係ありません。

    自分がそう思ったという内的事実がそうだということだけです。

    大切なことは規定するということです。

    父は何者か?という問いに名前を付ければそれでokで、

    永遠にあんな父こんな父そんな父と

    エンドレスに語り続けることがなくなります。

    そして、父の姿から自分のなりたい姿を導きだします。

    打算的がいやならばその言語を否定し、自分の利益ばかりを考えず

    人や社会の為に尽くせるような自分になろうと思い

    その意味の言語を考え、例えば「献身」や「奉仕」「貢献」を

    登録するということになります。






     

    尊重

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      自分が尊重されてこなかった人は

      「他者を尊重することができません」と言います。

      ですからお子さんを尊重して下さいと言っても

      どうやったらいいか分かりませんと言われます。

      子供の言う事を否定しないという単純なことなのです。

      子供が言ったことに「そうだね」と言ってあげればいいのです。

      この言葉はあなたの言う事はOKですよと認めたことになります。

      これは対人関係全てに使えます。

      自分が言ったことに、「それは違う」とか「でもね」

      を間髪入れず言われて気持ちいい人は一人もいません。

      自分の全てを否定されたと思ってしまいます。

      もし自分の意見を言いたいとしても、まずは「そうだね」と言って

      一旦相手の言う事を受け入れれば、相手(子供)からも

      あなた(お母さん)はどう思う?となり

      「私は…」と言うことができます。

      お互いを尊重し合える関係が自然に出来てきます。



       

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