死にたい、生きていても意味がない
人間は通常肉体があること=私は生きている!!と実感していません。
実際に肉体が生きていても死にたいといいますし、そして自殺もします。
私はこうしたい、あーしたいという考え方や自分の価値観、欲望を
肯定されて始めて生きている意味が生まれます。
否定されたら心=主体は殺されたことになります。
人間は元々そう強く出来ていません、大人でさえも他者に自分の考えを
否定されたら傷つきます。
ましてや子供は自己防衛機制がぜい弱ですから
親の否定に成す術もありません。
これもダメあれもダメ、そんなこと許しませんいい加減にしなさいと
言われ続けて十数年??否定の連続では心=主体は抹殺され、
それはつまり主体の死を意味します。
死にたい、生きていても意味がないという人は
もう心はすでに死んでいるということを言っています。
なので肉体だけがうごめいていることが辛いのです。
命の尊さには主体(心)も含まれています。
実際に肉体が生きていても死にたいといいますし、そして自殺もします。
私はこうしたい、あーしたいという考え方や自分の価値観、欲望を
肯定されて始めて生きている意味が生まれます。
否定されたら心=主体は殺されたことになります。
人間は元々そう強く出来ていません、大人でさえも他者に自分の考えを
否定されたら傷つきます。
ましてや子供は自己防衛機制がぜい弱ですから
親の否定に成す術もありません。
これもダメあれもダメ、そんなこと許しませんいい加減にしなさいと
言われ続けて十数年??否定の連続では心=主体は抹殺され、
それはつまり主体の死を意味します。
死にたい、生きていても意味がないという人は
もう心はすでに死んでいるということを言っています。
なので肉体だけがうごめいていることが辛いのです。
命の尊さには主体(心)も含まれています。
- 2015.08.31 Monday
- なぜ生きづらいのか
- 21:59
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- by 豊城 聡子