死にたい、生きていても意味がない

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    人間は通常肉体があること=私は生きている!!と実感していません。

    実際に肉体が生きていても死にたいといいますし、そして自殺もします。

    私はこうしたい、あーしたいという考え方や自分の価値観、欲望を

    肯定されて始めて生きている意味が生まれます。

    否定されたら心=主体は殺されたことになります。

    人間は元々そう強く出来ていません、大人でさえも他者に自分の考えを

    否定されたら傷つきます。

    ましてや子供は自己防衛機制がぜい弱ですから

    親の否定に成す術もありません。

    これもダメあれもダメ、そんなこと許しませんいい加減にしなさいと

    言われ続けて十数年??否定の連続では心=主体は抹殺され、

    それはつまり主体の死を意味します。

    死にたい、生きていても意味がないという人は

    もう心はすでに死んでいるということを言っています。

    なので肉体だけがうごめいていることが辛いのです。

    命の尊さには主体(心)も含まれています。








     

    オールOKと躾の違い

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      オールOKと躾の違いがよく分からないと言われます。

      オールOK子育ては、子供から申告を受けたことに対して答えることであり

      子供の要求を否定せず受け入れることです。

      躾は幼い頃は人間的マナー、小学生になったら社会公共道徳のルールと

      マナーを教えることです。

      躾は、幼い子は視覚情報で学びますから親がやって見せて教えます。

      つまり大人の立居振舞が躾になります。

      親がテレビを見ながらご飯を食べていれば同じように真似ます。

      親が椅子に足を立てて食べていれば子供も後に同じことをします。

      親が寝る前に歯を磨かなければ子供も磨きません。

      食卓が和気藹々で食べていたら楽しく食べます。

      食事する時は食事を、遊ぶ時は遊ぶというように場をわきまえるというのは

      食事をするダイニングとテレビを見るリビング、遊ぶ部屋と寝る部屋と

      分かれていることが理想です。

      家が人間を作ると言います、例えば2LDKでも機能を分化し使い分ける生活を

      親がしていれば、あーしなさい、こうしなさいと言わなくても子供は見て学びます。

      ですから親はいつも子供から見られているという意識を持ち自分を律して

      生活していなければいけません。

      躾は教育であり、オールOKは主体の尊重と欲望の充足ですので

      全く別になります。

       

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