快と不快

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    赤ちゃんの感覚は、快と不快しかありません。

     

    空腹の刺激が泣くという行為を生み出します。

     

    これが不快と言う感覚です。

     

    授乳によって満たされれば、不快が快に変わります。

     

    ところが適切な授乳がなされなければ、

     

    不快がいつまでも続いている状態になります。

     

    不適切な授乳が頻繁であれば、不快が通常状態になり、

     

    不快が快となってしまいます。

     

    なぜなら、通常状態が普通ですからこの状態を正常と捉えます。

     

    とすると、空腹が快で満腹が不快というおかしなことになります。

     

    こうして、不快を求めていくことになります。

     

    身体の構造は精神の構造にも表れます。

     

    心の快というのは、簡単に言うと「やさしさ」です。

     

    ところが、いつも親が厳しかったり、怖かったら不快です。

     

    そうするとこの人がやさしさに接すると、不快に感じます。

     

    やさしさが居心地が悪くて、気持ち悪いと言います。

     

    やさしくしないで下さい、と言ってしまいます"(-""-)"

     

     

     


    トラウマ(報復不安)

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      トラウマとは心の傷が記憶されたことを言います。

       

      どのように記憶されるかと言いますと、

       

      映像+観念+言語+感情という4つの項目で記憶され

       

      トラウマとなります。

       

      例えば、子供時代からお父さんに叩かれたり殴られたりして育ち

       

      今でも父が怖いというトラウマを持った男性がいたとします。

       

      その男性のトラウマを上の公式に当てはめてみます。

       

      言語は、「殴る」(殴られるでもいい)で記憶されます。

       

      そして映像は、数ある中で代表的な殴られている1シーンを記憶します。

       

      何度も殴られている蓄積の中からあるイメージが生まれます、

       

      力に負けてしまった為に、もし自分が殴っても父に

       

      必ずやり返されるという想像を持ち、

       

      それが自分の攻撃性と怒りの反撃の抑止力になり、

       

      抑圧されて「報復不安」という観念が内在化されます。

       

      それに伴う感情は「死の恐怖」です。

       

      この4つを1つにしたものがこの男性のトラウマということになります。

       

       

      子供時代の一番多いトラウマはやはり暴力シーンです。

       

      自分が被っただけでなく、見ていただけでもトラウマになる

       

      場合もあります。

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       


      我慢と忍耐の違い

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        今月の伊達男の会で質問があったことに、男は我慢が必要だ!!と言われたきたと。

        我慢と忍耐はどのように違うのかでした。



        我慢することは美徳のように思われがちですが、我慢は必要ありません。

        忍耐は学ぶ必要があります。

        例えば、お酒を飲みたいという欲望があるとします。

        飲みたいのを抑圧して一滴も飲まないことが我慢です。

        3合飲みたいところを、体のことを考えて今日は1合にしておこう

        というのが忍耐です。

        我慢は抑圧で、忍耐は抑制するということです。

        抑圧するということは欲望を全く0にするので、

        ストレスが溜まるということになります。

        そのストレスが溜まり過ぎれば、爆発してしまいます。

        一方、抑制とは自分の欲望をある程度満足しますのでストレスにはなりません。

        抑制は、自分をコントロールすることですから、実は知性が必要です。

        抑制する意味を作らなければいけないからです。

        これこれこういう訳で、今日はこれくらいにしておこうという意味付けです。

        そこに自分が納得する意味付けが出来て抑制が出来るんですね。

        これこそが自我なのです、主体性とも言います。

        自分をコントロールする為の言葉を作ることに

        よって抑制できるということですから、我慢と忍耐は全く別物です。

        我慢は現実と向き合えないから抑圧する、

        忍耐は現実と向き合い続けているということです。

               

         ******伊達男の会より 一部抜粋しています******










         

         

         


        抑圧の解除(トラウマ)

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          子供時代、布団に包(くる)まり、のり巻き遊び?をしていたら

          ギュウギュウにきつく巻かれ、身動きできない拘束感と、

          圧迫され苦しくて窒息して死んでしまうのではないかと思った

          恐怖の出来事を自分のセラピー中に鮮明に思い出しました。


          まさしくトラウマです…

          何十年も抑圧していたものが解除されました。

          抑圧し続ける為に、今まで多大なエネルギーをつぎ込んでいた訳

          ですから、かなりエコになりました^^

          このトラウマに行き着くまでかなりの時間を要しました。

          言語化してしまった今は、子供時代の遊び中の出来事でもあり、

          笑えてしまうほどです。

          しかし当時は死の恐怖だったんですね、

          拘束・圧迫、この文字が身体に刻印された為、この文字にまさに

          拘束され続けました。


          抑圧を解除することは中々たやすいことではありません。

          恐怖に耐えられる環境が整わなければ解除はできません。

          耐えられる環境とは、安心と安全の環境を確保することです。

          本来は幼児期にお母さんの抱っこによって安心と安全を確保します、

          それが身体に刻印され、生涯を通し持ち続けます。

          しかしみんな、心に安心よりも不安を抱え生きている人が大半ですから、

          始源回帰セラピーにより、まずは安心と安全の源である『温もり』を

          身体に刻み、トラウマを語れる環境を整えます。













           

          意識する

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            旅行に行きたいなーと思っていると本屋に行っても旅行雑誌に

            目が留まり、ネットを見ていても格安航空券とか旅行に関する

            記事ばかりを探します。

            そろそろ一戸建ての家が欲しいと思っているとあーここに

            モデルハウスがあったのかと気付いたり、一軒家ばかりが目に入ります。

            自分が何かに意識を向けているとそのものばかりに注意を向け

            それを探します。

            逆に何も意識していなければ普段私達は何を見てどこに向かって

            いるのでしょうか?

            それは過去=コンプレックスに向かっています。

            コンプレックスに振り回されて生きている、

            自分のコンプレックスに自分が囚われて生きている

            ということになります。

            人は同時に2つを意識することは出来ませんから

            積極的に自らが何かについて意識・注目していれば

            いいということですね^^。







             

            言葉が通じない

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              生まれた時人間は言葉を持っていません、

              それが後に言葉を持ち使い始めます。

              その言葉を発した時、他者(親)に伝わらなかったらどうでしょうか?

              お母さんこっち見て!と言っても見てくれない、ジュース飲みたいと

              言ったら麦茶がでてくる、転んで痛いよーって言ったのに痛くない痛くないと

              言われる、暑いから服を脱ぎたいと言ったのに暑くないでしょうと・・・

              自分の言っている言葉が通じない。

              お利口にしていたら○○買ってあげるねと言ったのに

              お利口にしていても買ってくれなかった、

              今度の休みはお父さんが遊園地に連れて行ってくれると約束したのに、

              お父さんは疲れたからまたにしようと言った。

              言葉が信じられなくなります。

              こうして言葉に信頼性が持てなくなり、その言葉を使うのは人間

              ですから人間への信頼性がなくなり、

              人が信じられないとなります。

              言葉が伝わらない、通じないのであれば

              自ら言うことをやめ、そして人の言うことは聞かなくなります。








               

              存在の価値(注意を引く行為)

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                私の存在が存在しうるにはどうしても他者のまなざしが必要です。

                どうしてかというと、例えば私が友達3人と一緒にいる時に、

                私の存在を無視して3人だけでお話しをしていたとしたら

                私の存在はそこに無いということになります。

                私の顔を見て微笑んだりうなづいたりしてくれれば

                私がたとえ一言も発しなくても私の存在はあります。

                このようにまなざしがあるかないかで私の存在は決定します。

                そもそも子供はお母さんのまなざしだけを求めています。

                ですがお母さんからのまなざしが足りなかったら、

                どうしても誰かから見て欲しいとなります。

                その行為は後になんでもいいから人の注意を引きたいということで

                その仕方は様々です、病気ばかりしてお母さんの関心を引いたり、

                悪いことをしたり、何かの芸でパフォーマンスをしたり

                人目につくようなファッションをしたり、とにかく自分にみんなの視線・関心を

                集めるためのアクションをするのです。

                その行為で何が得られるのか?

                それは自分がこの世に存在しているんだという証しを訴えているのです。

                この存在こそが自分の価値になるのです、そのことに人は心を費やしているんですね。

                怒りの放出

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                  人間は外部から受ける刺激の中で怒りのエネルギーも生産します。

                  そのエネルギーはやはり放出しなければ溜まる一方ですから

                  満杯になると大変なことになります。

                  放出の仕方は2つあります。

                  1つは外側に向けて放出する、もう1つは自分に向けるという仕方です。

                  言えない人、人に迷惑をかけてはいけないとか、いわゆるいい人でありたい

                  という人などは基本的に外に出せませんからどうしても自分に向けて

                  しまいます。自分に向けるということは自分の心と体を

                  ターゲットにしますのでその結果は心と体の病ということになります。

                  外部に放出する人はとにかく自分の中に閉まっておけない出さずにはいられない

                  ので結果周りの人たちに迷惑がかかります。

                  ではどうしたらいいでしょう?

                  溜まるのは避けられませんから満杯にならないように自浄作用システムを

                  自分の中に作ることです。

                  怒りのエネルギーをスポーツに置き換えることはとても発散になります。

                  ボールを思いっきり叩くことでスカッとしますし汗も発散になります。

                  趣味で太鼓を叩く、ボーリング、カラオケ、バッティングセンター、

                  アウトドアなど。

                  又、会社帰りにお酒を飲みながら上司の悪口やグチを言いあう、

                  これもいいです。

                  怒りをそのままストレートに出すのでもなく、

                  自分の中にためてしまうのでもなく

                  スポーツや趣味に置き換えて発散する、

                  それも色々な方法を組み合わせながら

                  一週間分のストレスを休日で放出するようにシステム化しておくと

                  心身ともに快適に過ごせます。









                   

                  私の喜び

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                    自分の喜びを持っていないとどうしても人と比較をしてしまいます。

                    他者と比べて自分は幸せだとか不幸だと自分の位置を確認します。

                    木で例えれば分かりやすいと思います。

                    松の木が杉の木と比べたりヒノキと比べても何の意味もありません、

                    品種が違うだけです。

                    松は松、杉は杉であって、品種改良してもヒノキにはなれません。

                    松は松なりの良さがあります。

                    人間は始め誰かにあこがれるというプロセスを経ながら、

                    自分の夢(自我理想)を持つに至ります。

                    この夢の実現が自分だけの喜びなのです。

                    私の喜びが確定していないが為に、つまり自分で自分を定義できないので、

                    相対論的に他者を持ってきて自分と比べるということになるのです。

                    これでは永遠に定まらない、きりがないのです。

                    おまけに他者との比較から生まれるものは嫉妬と劣等感ばかりです。


                    自分の喜びは人と比較しようがありません。

                    まず自分を知ることです、自分が松なのかヒノキなのかカエデなのか?

                    そこからです、そして松だと分かったらその木の本質・本分をセラピーを

                    通して知っていきながら段々りっぱな松の木に成長していきます。

                    比べるのは一年前の自分と今の自分、とても生産的です^^










                     

                    分離不安

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                      肛門期(1.5〜4才)はいかにして母から自律するか!!が課題です。

                      そこに立ちはだかるのが母との分離不安という大きなテーマがあります。

                      クライアントの多くは母を愛しておりまた憎んでもいます。

                      語りの大半はその憎しみです。

                      もっと私にやさしいまなざしを向けてほしかった、誉めてほしかった、

                      つまり愛してほしかったと語ります。

                      と同時にどれだけ冷たいまなざしをむけられたか、どれだけ非難されたか、

                      どれだけ兄弟との差別をうけたか、などのさまざまな虐待を受けてきたことを

                      語り続けます。

                      それだけひどい仕打ちをされたのなら、簡単に母子分離できるでしょう?

                      と思いますよね? そんな母だったら、子供の方から親を捨ててやるわ!ってな

                      もんだと、一般的には思いますが、中々これが・・・。

                      人は愛着があればこそ離れなれないのではないんですね、

                      むしろ憎しみや恨みを持っている方が切り離せないんです。

                      「あんな親なんか死んでしまったら方がいいんだ、ごみのような人間

                      なんだから・・・」というのにもかかわらずです。

                      愛着よりも恨みや憎しみの方の執着が強くてそれを手放せないんだなーと

                      つくづく感じます。執念は凄まじいものです。

                      人が自律するというのはやはり大変なことです。

                      1.5才から4才のテーマを乗り越えられる人間がどれだけいるんでしょうか…?




                       
                       


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