母のまなざし(厄介者)

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    私は厄介者、そんなふうに自分を規定している人たちがいます。

    自分はいてもいなくてもいい人、出来ればいない方が

    もっといい人だと言います。

    ですから人が集まると自分だけがなんか余計者の

    ような気がして、私はここにいていいんだろうか?

    と思ってしまいます。

    私は歓迎されているだろうか? 

    みんな私がいることを嫌がっているんじゃないか?

    つまらないと思われているんじゃないか?

    余計者と思っているんじやないか?

    そんなことばかりを考えてしまいます。

    これでは生きた心地がしませんから段々社会から

    撤退してしまいます。

    私という存在は他者のまなざしのもとに構成されます。

    他者のそもそもの起源は母ですから、母のまなざしが自分に

    どう向けられたか?によって自己規定が変わります。

    厄介者と規定したということは、

    ぞんざいに扱われ大した世話もされず家庭の中で

    自分の居場所も見つけられなかった。

    だから自分は厄介者、そんな存在なんだと思ったんですね。

    そういうプラカードをさげて歩いているようなものですから、

    自分は何も言わなくてもみんなそう思ってくれます、

    なんということでしょうか・・・

    厄介者と書いたプラカードをはずし、新しいプラカードをつけましょう。

    どんなプラカードがいいかはその人によります。









     

    夢は叶う

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      夢は必ず叶うといいますが本当でしょうか?

      叶わないのはそれを本当には望んでいないからだとも。

      思考は物質化する、当たり前だと思ってきましたが

      今年はつくづく私自身が実感、体験した一年でした。

      ですからやはり叶わない夢はありませんね。

      どうしてもこれが欲しい、これをやりたいとしっかりとした

      明確な思考を持つことが大切です。

      まずはその思考を言語化、文字にすることです、そして更に映像にできるものは

      映像にします。その映像を毎日飽かず眺め続けます。

      例えば欲しい車があればその車がのっている雑誌を毎日眺め続けるなど。

      本当に叶えたい夢であれば寝ても覚めてもそのことで頭が

      いっぱいであり忘れることなどありえませんから継続してそれを

      続けられます。

      しかし本当に望むことでなければ映像すら曖昧にしかイメージできず

      いつの間にかその映像も消えてしまいます。

      文字にしただけであれば3日でそれを口にしたことすら忘れてしまいます^^;

      意識でそれを望んでいても実は無意識では大したそれを望んでいないという

      現象が起こります。

      そのような現象がゆえに中々実現しないと分かったならば、

      再度しっかりとした揺るがない石のような強い意志を持ち

      自分に言い聞かせること、つまり自己暗示ですね。

      今年も夢が叶わなかった…という方もいるかもしれませんが

      それは、私はどうしても叶えたいという「どうしても」

      という意志が不足していたのかもしれません。

      新しい年が始まりますから心機一転、自分が本当にしたいことは何か、

      どうしても得たいものは何かをじっくりと考え新たな目標、夢を持ち

      必ず叶えるぞ!!と意気込みましょう。


      一年間ご覧頂きありがとうございました。

      良いお年をお迎えください。

















       

      新婚期〜辞書づくり

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        家族を作っていく上で最も大切な時期が新婚期です。

        この時期が後の家族のベースとなります。

        それぞれが異文化の中で育って、それぞれの価値観、性格の違いなど

        諸々をお互いが理解しあう為にコミュニケーションをとりながら

        親密性を深めていく訳ですが

        この時期に最も必要なことは、二人だけの辞書を作ることです。

        同じ言葉を使ってしゃべっていても全く意味が違っていたりします。

        広辞苑の言葉の意味通りに理解している人はいないのです。

        ですから誉め言葉に言った一言が相手は馬鹿にされたようにとったり、

        慰めのつもりで言った言葉が相手を傷つけてしまったりします。

        そして、そんなつもりで言ったんではないんだけど・・・

        なんで機嫌悪くなるんだろう???となるのです。

        それらこれらを正しく理解していくためにどうしても二人に統一した

        辞書作りが必要です。

        また、二人の生活習慣(スタイル)、好み、癖などを把握していくのに

        約3年はかかります、その道すがらで辞書を作っていきますから

        当然第三者の介入は困ります。

        ですからもちろん二人だけで生活することが必須です。

        このベースをしっかり作っておかないと後の夫婦関係、家族に

        色んな問題が起きた時に対処が出来なくなり危機を迎えてしまいます。

        家族の基礎を作るのは新婚期なのです。





         

        能力の限界を知ること

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          あー自分はなんてダメなんだろーと無力になることはありますよね。

          その出来なかったことを無気力、無理と繋げてしまわずに、

          どうして出来なかったのかを冷静に分析する能力が必要です。

          つまりちゃんと振り返ることです。原因あっての結果ですから。

          出来なかった理由は、自分が情報(知識)不足だった、

          体力が足りなかった、学習していなかったとかいろいろあります。

          その足りなかった部分が分かれば、次回補えばいいのです。

          まあ分かっただけでも可能性が見えてきます。

          その分析によって、あーだから自分は出来なかったんだ出来なくて

          当たり前だったんだという結論がでるだけでも十分なのです。

          つまり出来なかったことを肯定、受け入れるということです。

          それは自分の能力の限界を知ることなのです。

          そしてそこから足らない部分を補っていく、もっと勉強するとか、

          情報を集めるとか、体力をつけるとか・・・。

          そうして少しづつ成長していけば必ず出来る日がきます。


           

          ありのままに生きる

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            ありのままに生きたい、よく聞く言葉です。

            ということは、逆説的に言えば、何か不都合があり在りのままでは

            生きられないということになりますね。

            ではありのままということはどういうことなのでしょうか?


            人は自分のことを割と水増しして捉えています。

            自分はこれぐらいすごいんじゃないかと、肥大して捉えているのです。


            人生にはいろんな出来事が起こります。

            人間関係でうまくいかなくなったり、仕事ができなくて落ち込んだり…

            そんなことが何度も続くと、最終的に、私はダメだ、もう無理だという

            「ダメ、無理」この2つの言葉に行き着きます。

            この言葉を作ったのは、人とうまく出来なかった、仕事が出来なかったという

            「出来ない」、「出来なかった」自分に出会ったからなのです。

            出来ると思っていたのに出来なかった、ということは水増ししていた自分が

            そぎ落とされて、在るがままの自分に出会った瞬間なのです。

            肥大していた自分と在るがままの自分の落差が落ち込みとなります。

            「あー今までのは見せかけだったんだ、本当の自分はこれぐらい

            なんだ」という落胆に耐えられるか、つまり在りのままの姿に耐えられる

            かどうかです。

            自分が100だと思っていたのに50しかなかった、「えっ?、こんなもんかぁ?」

            とこの失望感と落胆から抜け出せないのです。

            50の自分を認めることができないと自己否定からうつ状態になります。

            そして、私はダメ、もう無理、最終的には無気力状態になってしまいます。


            やはりありのままの自分に一度気づくことが一番です。

            自分は50だと知ったからこそ、100に向けて努力ができます。

            100だと思っていたら成長しようとはしません。


            ありのままの自分を受け入れる勇気があるか・・・

            ということは、勇気をだして受け入れれば、

            ありのままの自分で生きられるんですね。











            精神の成長には「破壊と創造」が必要です

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              人間が進歩、成長していくということは、

              自分自身を破壊し創造する、この繰り返しです。

              今の自分を壊すからこそ新しい自分が生まれます。

              新しい自分を生み出して、こんもんでしょって言ってしまえば

              そこで完成です。

              いやいやまだまだ私は満足しない! となれば、今の自分にとどまらず

              また破壊し創造する。

              壊すということは新しいものを生み出す前提であり、きっかけに

              なります。

              しかしこれがなかなか大変なことです。

              壊すことを恐れてしまうのです。


              芸術家は満足納得のいくまで壊しては作りの連続で素晴らしい作品を

              生涯かけて創造し続けますね。

              常に今にとどまらないこと、これがまさしく成長発展ですね。

              破壊があるからこそ、創造があるんだと教えてくれます。









               

              憧れ

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                今の自分じゃなくてもっと成長したい、変わりたいとよく言います。

                じゃぁどう変わりたいか?、どこまで成長したいか?ということを具体的に決めます。

                その目標にするのがモデルです、あーいう人を目標にしたい!、あーなりたいと。

                身近に憧れる対象がいるとイメージし安いですよね。

                しかしこれが中々・・・身近な存在で憧れる人なんかいない

                と言う声をよく聞きます^^;


                身近にはいなくても、ネットや図書館で先人の偉大な人たちに触れることはできます。

                かつて歴史的に素晴らしい人たちは確かにいたわけですから、その中からモデルを

                探すことは出来ます。

                世界の素晴らしい天才のすごい能力に憧れる、まあそこまでを目指さなくても

                片鱗でも自分も持てたらいいなぁと憧れる。

                この憧れが自分の進化、成長の原動力なのです。

                家などもそうですよね、実際のすごい家を見て、あんな家に住めたらいいなあという

                憧れが後にそういう家を現実に建てることが出来るのです。


                その憧れの人に自分が同一化したいという意欲が目標、目的となって

                自分を引っ張っていってくれるのです。


                 

                今生きているということ

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                  前回のブログ「どうでもいい存在」の、続きです。

                  後回しにされ続けてきた人は、自分のことをどうでもいい存在と規定

                  していると書きました。

                  更に、後回しにされたことによって「今この瞬間」がない構造になってしまいます。

                  つまり、過去も今も明日も、どうでもいいのです。

                  ですから、「どうでもいい一日」を毎日過ごしているということですね。


                  今を生きるということは、今日しかないと思うこと、明日はないし過去もない、

                  今、今、今この瞬間を精一杯生きるということです。

                  ちまたで流行っている、いつやるの? 今でしょう!! ってありますが

                  まさしくですね。

                  では、今を生きているということはどういうことでしょうか?
                   



                        生きる                  谷川俊太郎

                  生きているということ

                  いま生きているということ

                  それはのどがかわくということ

                  木もれ陽がまぶしいということ

                  ふっと或るメロディを思い出すということ

                  くしゃみすること

                  あなたと手をつなぐこと


                  生きているということ

                  いま生きているということ

                  それはミニスカート

                  それはプラネタリウム

                  それはヨハン・シュトラウス

                  それはピカソ

                  それはアルプス

                  すべての美しいものに出会うということ

                  そして

                  かくされた悪を注意深くこばむこと


                  生きているということ

                  いま生きているということ

                  泣けるということ

                  笑えるということ

                  怒れるということ

                  自由ということ


                  生きているということ

                  いま生きているということ

                  いま遠くで犬が吠えるということ

                  いま地球が廻っているということ

                  いまどこかで産声があがるということ

                  いまどこかで兵士が傷つくということ

                  いまぶらんこがゆれているということ

                  いまいまが過ぎるということ


                  生きているということ

                  いま生きているということ

                  鳥ははばたくということ

                  海はとどろくということ

                  かたつむりははうということ

                  人は愛するということ

                  あなたの手のぬくみ

                  いのちということ





                  かけがえのない私

                  0
                    自分のことを自分で、かけがえのない私と思っているでしょうか?

                    それを言える人は、私=主体性を持っている人です。

                    つまりそれは、私が、私の言葉を持つっていうことだと思います。

                    私が私の言葉を持つということは、私が何者かを言葉でちゃんと語れる人であり、

                    もちろんアイデンティティー(自己同一性)を持っているひと、

                    それがいわゆる個性なんですね。


                    自分には個性がない、どうやったら独自の個性を引き出せるんだろうとか、

                    あの人は個性的だよねなどと、「個性」という言葉は当たり前に使われ、

                    そして人はみなその個性を求めます。

                    しかし、自己実現=個性化、これが人間の究極の目指す目標だと

                    言われるほどのものなのです。

                    個性を持つということは、私のかわりはどこにもいない、人まねでも人の言いなりでもない、

                    この世でただ一人の私だと言えること、それがかけがえのない私なのだと思います。





                     

                    借り物競争の人生

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                      主体性がない人は、借り物競争をしているように思う。

                      小学生または中学生ぐらいに親からカードを渡されてそのカードに指示が書いてあり、

                      それに従って生きる。

                      「大学卒業は必須」とか、「公務員を目指せ」など・・・。

                      それが達成したら、又新しいカードを誰かから貰う、貰わないとどこを目指せはいいのか

                      わからず引きこもることになる。

                      例えば「そろそろ結婚しなさい」というカードを貰い、結婚し家を買い、ローンを組むのもいい、

                      そうすれば今度は「お金のために頑張れ」というカードを貰ったようなもの。

                      このカードはほぼ一生涯に渡り使えるカードとなり、

                      そして死というゴールを目指して生きていく。

                      誰か強く言ってくれる人がいればその言葉に従う、これは他者のシナリオの役者。

                      良く言えば素直という見方もあるが、これでは主体性がない。

                      もちろん主体性を持っている人は、自分の生きる目的を持っているということだから

                      借り物ゲームをする必要はない。

                      しかしこのゲームをする人は多い、何故ならそれは自分で考える必要がなくて

                      とても"楽"だから。

                      自分の人生を創造するということは、実は並大抵のことではないから。


                       


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